03月21日付 朝日新聞の報道「王監督、世界一の胴上げ イチロー、松坂ら活躍 WBC」へのコメント:

日本優勝やりました!!

しかし、始まった当初はこんなに盛り上がる大会になるとは
思いもよらなかった。
最初は、ペナントレース前の野球大会の1つぐらいに
しか思っていなかったのに。

なんか、日本中の多くの人のWBCへの熱と
イチロー以外の日本代表のWBCへの熱と
イチローのWBCへの熱が、
イチロー自身の言葉や審判の誤審、
2度の韓国チームへの敗戦等によって
だんだんと縮まっていったような気がしました。
これによって、日本におけるWBCの位置づけが
サッカーのワールドカップほどとまではいかなくても
かなり高くなることでしょう。
選手も、WBCの選手に選ばれたことを
サッカー選手が日本代表に選ばれることと同じぐらいに
誇りに思うようになるのでは・・・。

イチローの感情の高ぶりに対して最初に感じた違和感(私的に)は、
今となっては、
WBCをサッカーワールドカップのような権威あるものに
していきたい、自分はその牽引役になりたいというところから
「あえて」来てたものなのかなぁなんてちょっと思ったりしてます。

でも、サッカーのように野球は世界的大会になれるのだろうか。
ずっと十数チームで細々(世界的に見て)とやってたり・・・。
アメリカが二次リーグで敗退してしまったし、
10年後には「こんな大会やーめた」とかならないことを
祈りたい。

ボードの旅

2006年3月12日
泊まりでスノーボードの旅に行ってきました。
泊まった旅館はネットで1日限定○部屋だけ安いとか
いうので予約してもらったので、値段の割りに
とてもいいお部屋&お料理でした。

ボード上達したね〜と一緒に行った人から
お声をかけていただけたのが嬉しかった。
もうそろそろベチャベチャ雪になってしまうので、
3月中にあと1回くらい行きたいです。
仕事をしていると
1〜10まで、こまごまとしたこと含め、
全てのことがきっちり決まらないと前に進もうとしない人がいる。
こういう人と接していると、絶対に新しいものを作ったり、
動かすことはできないだろうなと思う。
新しい物を作ったり、何かの新ルールを決めたりするとき、
確かに物事の「1番目」つまり、やろうとしていることの
趣旨とか目的とかはものすごく大事にしたほうがいい。
1があやふやなまま2や3には進めない。
しかし、裏を返せば、1さえはっきりしていれば、
その後は大体のことを決めて、まず動きだすことができるのだ。

きっちり決めることは悪いことではないけれど、
そういう人は大概、ありとあらゆる想定外のトラブルを
思い巡らして手詰まりになる。
やってみて、試行してみて、それを評価して修正したほうが
ずっと思い通りの結果が出るのも早いと思うんだけど。

最初から完璧を目指せるのは天才だけでしょ。
大体の人間は不完全なんだから、不完全から始めればいい。
・・・と思う私は大雑把すぎるんだろうか。
02月12日付 朝日新聞の報道「「勘違いをしていた」 規則違反で失格のジャンプ原田」へのコメント:

ニュース見たとき、
初歩的な疑問しか思い浮かばなかった。

なんで、飛ぶ直前に体重計らないんだろう。
昨日、格差社会の話で
「スタートに立てない人」をスタートに立たせる支援を
考えるべきだと書いたわけですが、
「スタート地点」って何かっていうのが結構難しいと
思うんです。
社会のスタートとそれまでに行っている学校教育は大いに
関連しているのでそこをどう考えるかですよね。
朝のワイドショーで、格差社会への批判意見として
「所得の高い家庭では塾や家庭教師をつけて上層にいけるけど
所得の低い家庭では学力がつかずに結果的に社会にでても
下層でしかいられない。」との発言をしてるコメンテーターが
いました。
もし、上の話が本当で、
今の学習指導要領が本当に学力低下につながっているのも本当で、
学校の授業を受けているだけではスタート地点に立てない
という社会だとすれば、それは確かにまずい。
スタートの設定は社会が自然とするものであると思うので、
社会がそういう上流層を対象にスタートを設定するように
なったとしたらかなりまずい。
だから、
今の学習指導要領・教科書だけでは本当にダメなの?
考える力が身につかないの?というところを真剣に考えた上で
普通に授業を受ける気がある子供が先生の話を聞いて、教科書
読んで、学校から配られた問題集とかやって
テスト10日前ぐらいからちょっとお家でコツコツ→ガシガシ勉強して、
テスト前でも計画的にいくつかテレビとか見れたりして
テスト受けたらまあそこそこ点数とれて、
そんな凡人の生徒達がある程度は勉強身についたと客観的に言える、すなわち普通の人たちが普通にスタート地点に立てるための
教育改革を望みます。

格差社会

2006年2月8日
そう悪いことではないと言った首相ですが、
私も同感です。
「そう」というところがポイントですかね。
何もかもが平等な社会なんてありえない。
自由社会=競争社会=格差は必然的なことなのだ。
だからこそ、我々が考えていくべきは
競争社会に敗れた人たち(自ら離脱したけれど
もう一度社会復帰しようとしている人たちも含めて)
の再スタートの方策はもちろん、
スタートの段階に最初から立てない人たち
をスタート地点に立たせるための支援ではなかろうか。

言葉にすると当たり前のことすぎて
ちょいと恥ずかしい・・・。

野党は格差社会をどう考えているんだろ。特に民主党とか。
郵政民営化のときとかもそうだけど、どこの党も
「民営化するのなんて当たり前。うちはそれ以外にこんなことも
考えています。」とか言う党がないのかしら。

THE 有頂天ホテル

2006年1月25日 映画
DVD 大晦日、様々なイベントが目白押しでごった返すホテル・アバンティ。そんな時に副支配人の新堂は別れた妻と再会。妻は再婚していたが、その再婚相手はホテルの目の上のタンコブであるコールガールのヨウコと浮気を。そんなことは知らぬ新堂は、つい元妻に見栄を張って大嘘をついてしまう……。という話はごく1部。主な登場人物だけで20名…

昨日、映画を観に行って、
「普通に」面白かったよ。」と感想を言ったら
普通なの?面白いの?と言われました。
いや、だから面白さの枠の中では普通なの。予想レベルの
面白さってことよ、と説明をしました。

しかし、
三谷幸喜ってホント、ウソがウソをよんでだんだんおかしくなる
というシチュエーションを描くのが上手いなぁ。
オムニバス形式じゃない形式で色んなエピソードが進みつつ
1つの軸に最終的に集約されていく
みたいな形の物語を描けるのは、三谷幸喜が私の中では
一番かもしれない。
ただ、慣れてきたのかな?初めて三谷作品を味わった衝撃が
最近薄れてきてしまって、
結果的に「普通に面白い」という感想になってしまってるかも・・・。
あと、ホントに三谷作品を観るたびに思うこと。
西村さんカムバック。

古畑任三郎FINAL

2006年1月5日
松島菜々子の最終夜は、
今まで古畑を見つづけてきた、
古畑大好きな人たちのための話だったと思う。
今までの犯人を彷彿させるような小ネタの数々。
そして極めつけは「小石川ちなみ」の話。
「昔ね、・・・」と始める古畑の懐古は、
古畑を見つづけてきた私にとっても
「12年」という時の流れの速さと夢中になって
古畑の本まで買ってしまったあの頃を思い出し、
感慨深い気持ちになった。
特に彼女の話は、パート2で無罪となったことが
判明し、結婚してアメリカに住んでいる、という
詳細が明らかだったため、更に感慨深かった。
まあ、松嶋菜々子の回が特に美しく、特に哀しい犯人だったか
というとそれはまた別の話・・・。
確かに哀しくはあったけど、どういう哀しさかが、
ドラマ前に読めてしまっていたので、傍観できたというか。

シリーズ前編を通し、私が最も哀しいと思った犯人は
ノリ子ケンドール@鈴木保奈美の回かな。

あと、欲を言えば三夜のうち一夜は堺正章、さんま、
唐沢寿明等の男性犯人のときによくある、
これでもかというネチネチとした意地の悪い
追い込みをするパターンの古畑が見たかった。
あっ、でもまだイチローの回を見ていないのだけど。

バイバイ

2005年12月16日
本当に本当に
悲しいことすぎて
顔を上げることもできなかったから
後ろを向いて
素っ気なく
バイバイ
めでたい。
お似合いのカップルって感じじゃないですか。
「神様がくれた最後の贈り物」なんていう言葉を
言っても、「何言ってんの?」って感じにならないのは
市川正親だからなのか?
なんか、見ていてとってもほほえましい気持ちになった。
冬は1年の中で最も苦手な季節である。
「苦手」の理由の80%はただ単に「寒いから」である。
寒いと基本的に何もしたくなくなる。家で丸くなってこたつで
ずっと寝ていたい。
おまけに雪まで降ってきた日には通勤しにくくなるし、
足元滑るし。
そうそう、日が短いってのも好きじゃない。

逆に夏の場合、仕事終わってもそのまま飲みに、遊びに
駆け出したくなるくらい好き。
夏祭りとか行って、無意味に色々買い食いとかしてしまう。

冬の唯一いいところは、ウィンタースポーツができるところ
かしら?ボードやってると暑くなるしね。
太陽が照っている天気のいい日に音楽なんか聴きながら
滑ってると気持ちいい。
そうそう、ウィンタースポーツを夏にやったことがあるのだけど
(寒い地方では7月までできるところもあるのだ。)
いくら夏好きでも、あれは、行くべきではないなと思った。
雪ベタベタしてるしね。

好きなものと好きなものを掛け合わせて2倍よくなるわけでは
ないのだな、と勉強になりましたわ。

そろそろ本格的な冬。
平日は寒いだの何だのウダウダ文句言いながら過ごして、
休日はボードとかやって元気に過ごしたいっす。

運動神経

2005年11月23日
いい方ではない。
まあ、悪すぎると自分を卑下するほどでもないと
オトナになってから思うようになったが・・・。
子供のころは、かなり落ち込んでいた。
なんで運動ができないんだろう、と。
この原因を振り返ってみると、全ては「かけっこ」
に行き着く。
「かけっこ」でビリになるのを周りの人たちに見られている
あの感覚は、かなりせつない。自分にせつなさ、やりきれなさが
運動したくなーい。運動神経悪いんだもん、につながっていくのだろう。

そもそも
体育の授業でも、先生は笛吹いて、ルール教えて、
タイム計ったり、審判したりするだけで、私のような生徒を
少しでもできるようにさせる先生は皆無だった。
運動できない子に、俺についてこい、俺の言うとおりにすれば
運動神経よくなるから!とか言って、きちんと合理的に教えられて、それでいて実績あげてる体育の先生はいるのだろうか?
そういう先生がいれば、そういう先生に習いたかった。

学校を卒業して、当時の体育の先生とバドミントンをやったことがあったのだが、「おまえって昔そんなに運動できたっけ?」と
言われた。そのとき私は思った。道具使う系のスポーツは昔から下手ではなかったよな、と。
しかし、当時、春の体育といえば、まず陸上である。
陸上が全ての人に色眼鏡をかけさせるのである。
まあ、究極的に、一流アスリートになる人は陸上みんなできるんだろうけど、体育レベルならそれはそれ、これはこれなのだ。
オトナになって、運動に関してはちょっと前向きになれた。

20世紀少年 20 (20)

2005年11月23日 読書
グッと終わりに近づいてきた気がするが・・・
この話はどんなにベタでも
happy endじゃなきゃ納得できないな。
「冷静かつ論理的な人間だけでは世は変わらない。」
村上ファンドの社長とかライブドアの堀江社長とかを
見てるとそう思うことが多々ある。

大多数の人間、特に日本人の
普通のいわゆる一般人は、「人情」とか「感情」が
第一で、それによって心を揺り動かされてることが多く、
そういう人たちの心がいわゆる「世論」だからだ。
一般人の人情や感情を動かさない限り、
論理・理屈の世界で良しとされていることもなかなか
前に進まない。
論理、理屈に支配されている人間にとってはこのことが
理解できないし、そんな世の中じゃダメだとしか考えられない。

今だからこそ、新しい価値を創造しなければならないときだからこそ、
それを現実のものにするためには、
「人情派」が必要なのだ。

人情で動く=古い人間、なあなあ主義とかマイナスな匂いが
漂うけど、上手く動けば、結構貴重な存在かもしれない。

最近そんなことをふと思った。

不自由な価値観

2005年10月24日
ある人(男性)が言った。
「とりあえず第一印象がまぁよくて、女の子の俺への反応が
いいなー、脈ありかなー(二人で食事に行ってくれたとか)
と思った時点で告白かけてくわけよ。望みのない人に
いつまでもアタックしたりして無駄な時間過ごしたくないからさ。」
この言葉を聞いたとき、あぁこの人と私は永遠に分かり合う
ことはないなと思った。
発言の方向性、ベクトルが全て自分の方に向いている。
まあ、そうは言いつつも
通常、人間の行動や発言のベクトルはどこかしら
自分の方に向いているものだと私は思っていて
私も例外ではないだろう。
「日テレ24時間テレビ」も簡単に「人のために」と
連呼する人間も信用ならねぇと思っている太刀である。
しかし、「誰かを好きになる」という気持ちは
ベクトルが相手に向くものだと私は信じている。
誰かが自分を好きそうで、この人となら付き合えそうだから
とかいう理由で告白するとか、ありえない。
片思いでいる時間を「無駄な時間」と呼ぶことがありえない。
「好き」になっちゃったんだから「好き」なのだ。

とにかく書き足りないぐらい、細かいところでも、
ことごとく、私とは反対の価値観をこの人は持っている。

何が何でも出世して人の上に立ちたい、とか
飲み会が嫌いだ、とか
自分より学歴の低い人とは話が合わない、とか
音程をはずしたと思われたくないからカラオケは嫌いだ、とか。

全然自由じゃない感じがする。いろんな意味で窮屈だ。
私はそんな不自由な世界にはいられない。

話すたびにそんなことをふと思った。

10月19日の日記

2005年10月19日
前にも一度日記に書いたが、食習慣が変わった。
自炊中心。料理レパートリーも増えた。
今まで、何度か自炊を心がけようとして挫折に終わったが、
今回は絶対にこの習慣を戻すことはないだろう。
なぜ「挫折」に終わるのか。
結論からいえば、やみくもにボヤーッとなんとなく
目標を立てるからである。
なりたい自分を思い描ければ、そしてそれに合わせて
思考を変えれば絶対に挫折はない。
私の場合、微熱が続いたり、すぐに息切れしたり、咳き込んだり
体調おかしいなぁということが続き、最後には1ヶ月ぐらい
床に伏せ続けたことをきっかけに、人間健康が一番ということになって、食生活を変えた。
健康にはしゃぐ自分を思い描いた。
それに合わせて思考を変えた。
すると、全く苦じゃない自炊など。食べ物の「陰・陽」を
考えながら料理を作るのが楽しくなったのだ。

ダイエットを失敗する人、禁煙に失敗する人はきっと
お菓子食べながら、たばこ吸いながら、「やめられないなぁ。」
とか言ったり、「こうなれればいいのに。」程度の目標しか持っていないに違いない。

寝坊の私が、早朝の仕事に遅れないのはその日に限り、目標と
思考の変化が伴っているからに違いない。

タッチ

2005年10月12日 読書
コンビニとかで売っているあだち充の隔週発売の雑誌を毎回買っている。
タッチの連載をしているので、とっても懐かしい。

あだち充の漫画は読み返すたびに、その時々によって
自分の気分とか、年齢とかによって、言葉の受け取り方が
変わったりする。だから面白い。
この漫画は、野球ドラマ、恋愛ドラマであり、なおかつ
上杉達也が「上杉達也」を成長させるための人間ドラマである。
その意味では、和也の死が達也の成長のきっかけに
なっているのだけど、単に「和也の分まで俺が頑張るからな」
みたいに、燃えつづける感じではなく、
和也を思うがゆえに、「和也」のコピーで
ピッチングし続けたり、南に思いを伝えられなかったりと
最後の最後まで、心優しい「達也」はいるのである。
この揺れ動きというか、微妙な心理状態の描き方がうまいと思う。
だからこそ、
達也が「達也」としてマウンドに立つ、予選大会決勝戦の描写は
素晴らしい。新田戦も素晴らしい。

・・・来週号で、最終回だな。
勉強について

今の子供達は学校よりも塾のほうが信頼できるらしい。
学校の先生より塾の先生のほうが「上手に」教えてくれると。
この「上手に」というのがポイントなんだろうな。
確かに、塾の先生は「上手」だと思う。
テストではここを聞かれるとか、こういう問題があるとか
色々教えてくれるからだ。
それはそれで役に立つ。私も、問題集等の「ここが出る!」
みたいなのを活用したもんだ。
そんな世間の流れからか、
学校の先生でも塾っぽく教えてくれる先生もいた。
しかし、学校の先生の場合、それは「上手に」教えている
ことにはならないと思う。
学校の授業のいいところっていうのは、「なんでそうなるのか」とか、そもそも「○○とは何なのか」っていう超基本を教えてくれるところだ。
学校の先生で上手に教えられる先生はこの「なんで」の部分を解消してくれる先生だと思う。
でも、この「なんで」という先生の解説は一見、とても退屈で意味がないように見える。次のページの結論早く言って、暗記すればいいんだろ、と思ってしまう。
この「なんで」を考えない子供達にとっては学校の先生の授業はさぞ退屈だろう。
しかし、まあ、先生の腕の差こそあれ、結構学校の先生もいいことを言っている。
学校の先生に「根」をしっかり植え付けて貰って、
自分で自分の植物(能力)を「育てる」
塾は「肥料」並みに考えた方がいいのではないか。
「根」が腐ってちゃ、何したってモノにはなんないだろ。
選挙合戦も大詰めとなった。
テレビを見ていて思うが、なぜ、自分の党を
宣伝するにあたり、他党の批判が必要なのか。
マニフェストだの何だの言っていても
結局、演説方法に何ら変わりはない。
実際、ずっと聞いてれば、批判ばかりではないのだろうけど、
テレビに使われるところなんてそんなもんなんだから、
もっともっと自分たちの主張に熱を入れるべきではないか?
相手にしてるのは、この大衆化社会、自主的に演説を聴こうとしない一般人なのだから。
郵政民営化反対にしても、田舎の郵便局がなくなる、不便だ
一辺倒の主張ばかりが聞こえてきて、頭悪いなぁと思う。
もっと、バシッとズバッとこっちがハッとさせられるような
主張はできないものなんだろうか。

家具を組み立てた

2005年9月7日
台風が来るというので有休をとってみた。
というか、今後来るべき忙しい時期に備えて
今のうちに休めるときに休んどけ、みたいな感じで。
朝起きると10:00、目覚ましは解除していなかったのでいつも通り鳴ったらしいが、行かなくてもいいと思うと不思議なことにまったく聞こえなかった。
しばらくすると宅配便が。前に注文していた家具(チェスト)が届いたのだ。
今日届くなんてラッキー。早速、組み立てに取り掛かった。
私は、こういう工作的なことは結構得意である。・・・はずだったのだが、何だかんだで5時間かかってしまった。しかし、出来栄えは中々のものだ。部屋の感じも変わってうれしい気分である。部屋の出入りを意味なく何度もしてしまった。
というわけで、有休の一日はこのように過ぎ去って行ったのである・・・。

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